Wheel of Fortune 〜古代都市と神罰者たち〜第2章②
「はるか昔、この大陸にはダーマデウス帝国がありまして、神の時代とともに長きにわたり栄えておりました。時の王様とお妃様の間には女の子が生まれて、アリスと名付けられ大切に育てられました。」
神殿の大広間、ミトが絵本を広げて街の子供達に読み聞かせをしている。
「アリス王女はとても賢く,魔法をたくさん勉強してきましたが、ただ一つ難しい魔法だけは使うことができませんでした。
そんなある日、イラブと名乗る悪い神様がたくさんの悪人を連れて帝国を襲いました。そして王様とお妃様を殺してしまい、帝国を自分のものにしてしまいました。アリスは家来とともに命からがら逃げ出し、帝国から脱出しました。
両親を殺されたアリスはイラブを許すことができません。そんなアリスに女神ミレイユはお告げをしました。アリスには神々が味方になりイラブを退治することができますでしょう、と。」
物語の展開に子供達が興味津々になってるいるようだ。
「やがてアリスは成長し、難しい魔法も使えるようになり、いよいよイラブに戦いを挑みました。イラブのせいで世界は荒れ果てため、人々はアリスの勝利を祈りました。
しかしイラブもまた強い魔法を使うためなかなか勝つことができません。
するとそこへ女神ミレイユが現れ、アリスに力を与えました。
女神の力を借り、アリスはとうとうイラブをやっつけることができました。
こうして世界には平和が訪れ、人々は幸せに暮しました。」
こうして物語は締めくくられている。このアリス王女物語はもともとこの国に伝わる神話を子供にも分かりやすいように童話という形となっている。普通のお伽話に出てくるお姫様とは違いドレスではなく甲冑を身につけ、悪しき存在を倒していくアリスは子供から大人まで人気がある。
「ミトお姉さん、最後アリス王女はどうなったの?」
女の子からの質問にミトは少し返答に窮した。
なぜならこの物語、アリス王女が最後どうなったか具体的に書かれてないからだ。
ミトはこう答えておいた。
「実はこれについては何も書かれてないのよ。おそらく、読んだ人が色々アリスのことを自由に想像できるように、敢えて触れてないんじゃないかな?」
「ふーん。じゃあ、きっともっと悪いやつを退治に旅に出たんだね!」
「えー?素敵な王子様と結婚して幸せになるんじゃない?」
子供たちが思い思いに楽しそうに想像を膨らませているのを見て、これでよかったのかなと考える。
「そしてここに立っているのは、女神ミレイユの像ですよ。」
ミトは大広間の奥の古い女神を指差して説明する。
すでに年季が入っており所々色が剥げ落ちているが、代々この神殿では女神ミレイユ像を大切にしてきた。
ミトは幼くして両親を亡くし、祖母マーサの元に引き取られトモチと一緒に育てられた。マーサの夫―つまりミトの祖父は権威ある神官であったが、ミトが引き取られる前に風土病で亡くなった。こうしてマーサは夫に代わりこの神殿を統括する神官となった。
トモチは昔から頭が良くたくさんの魔導書を読み,ほぼ独学で魔法を習得してきた。彼女の魔法の才能は年齢とともに開花し、幼い頃から街の頑強な大人とともに魔物の討伐に参加してきた。誰もが彼女は将来魔法専科の学校に進み、ゆくゆくは宮廷魔導士になるものだと思っていたが。
「いつか誰かが魔物たちをやっつけてくれる、勇者が現れる。そんなこと期待してもこの国は安全に暮らせない。」
そう言いながらトモチは士官学校へ進学した。
そこで同期のアツ、キラ、ゴンと出会い、彼らとともに卒業後討伐部隊へ入隊した。
そんなトモチからミトは幼い頃から魔法の手解きを教えてもらっており、彼女も討伐隊員を目指すべく士官学校へ入学した。しかし卒業間際,ミトはふと疑問に思った。
「私がやりたいことって,本当にこれなのかな」
武器を持つこと、魔物に立ち向かうことが怖くないといえば嘘になる。それ以上の理由として、討伐隊員になった自分の未来を思い描くことができなかった。
神殿を訪れる人々の中には、家族を魔物に殺された人、生活に困窮して明日食べるものさえない人、生きる希望を失いかけた人もいた。マーサは親身になって話を聞き、神の言葉を伝えて手を差し伸べてきた。
「私たち出来ることなんて高々知れている。だけど迷える人を導いて生きる気力を与えることはできる。」
マーサから教えられ、これが本当の私の進むべき道なのかも知れないと思った。人々に寄り添い誰をも救える巫女になろうと、ミトは決心を固めた。
それをマーサに伝えた時、少し嬉しそうな表情をした。
「これも天の思し召しだね。あんたはミレイユ様の意思を汲み取る巫女として選ばれたんだよ、名誉なことだ。」
「士官学校まで行かせてくれたのに、なんかごめんね。」
そういうミトに、世の中何一つ無駄なことはないとマーサは言った。
「トモチの場合は、あのじゃじゃ馬っぷりは女神様のお眼鏡に叶わなかった。ただそれだけだよ。」
そう言いながら2人で笑い、巫女の修行を続けて今に至る。
Wheel of Fortune ー古代都市と神罰者たちー第2章③
街で唯一のその酒場は、店主のチップとシア、モチ、ベルガモットの3人の娘で切り盛りされている。この街は隣国のアブル連邦との国境近くにあるため、人々の往来が盛んである。この酒場は住民たちだけでなく、各国から仕事を求めてやってきた労働者や傭兵、腕に自信のある剣豪たちが集まり、情報交換をしたり危険な魔物討伐に出向く仲間を集めるための場所である。またギルドとしても兼ねており、炭鉱などの日雇い労働から魔物討伐に至るまで仕事の斡旋をしている。
「知ってるか?あそこの森でこないだとんでもねー化け物が出たんだとよ!」
労働者風の男たちが酒を飲みながら会話を続ける。
「隊員たちがやっつけたらしいけどよー。俺たちみたいな一般人が出会したらもう終わりらしいぜ。」
「そりゃほんとこえーな。なんでもフクログマ以上に恐ろしくデカいらしいじゃねーか」
「ああー、ちょうどアイツみたいな奴なんかな」
そう言いながら労働者たちは店の1番奥のテーブルの方を見た。
そのテーブルにはかなり図体のデカい、クマみたいな男が1人酒を飲んでいた。肌は浅黒くこめかみから顎にかけて無精髭は生え放題であり、筋肉盛り盛りでいかにも喧嘩が強そうであった。テーブルの上にはすでに何本もの空ビンが転がっており、周りの目などお構いなしに大男は昼間から大酒を飲んでおり、相当酔っ払ってるようだ。
「いらっしゃいませー」
店の中に入ってきた街の精鋭たちを見て、娘たちは愛想良く挨拶する。
「トモチ」
モチがそばに駆け寄り、茶色い紙でできた小包を手渡した。
「うわー!こんなにたくさん嬉しいな♫ありがとう!」
そう言いつつ、こそっと小声で耳打ちをする。
「今日彼氏はまだ来ないの?」
「うん,まだ仕事だと思うけど、もうすぐ来ると思う。」
やりとりの後、トモチはキラとロムの座るテーブルに着く。
ここは討伐隊員たちにとってお昼休憩や仕事終わりに立ち寄るところであり、彼らもまた常連客である。アツとゴンは御目当てのシアの近くのカウンターに座る。
「ねえ,シアちゃん♫今日のオススメ何かない?」
「うーん、そうね〜シカ肉のローストかなぁ?」
「じゃ,今日はそれにしよう!」
「僕もそうする♫あと飲み物は黒ビールかなぁ」
奥の方のカウンターにはソルデイとクラースが先に食事を取っていた。ベルガモットがテーブルにやってきて注文を取る。
「私はバゲットサンドとレンズ豆のスープにコーヒーかな」
「私はエスカルゴのアヒージョにパン、白ワインねー」
「うーんと、私は….」
「はいはい,ロムちゃんはいつものね?」
彼女たちはいつも通りのやり取りをしていたーすると突然、店の奥から凄まじい音が聞こえてきた。
ぐがあああ~ぐがあああ~ぐがあああ~
びっくりして音の主の方を見ると、さっきまで酒を飲んでいた例の大男がテーブルに突っ伏し、大鼾をかいて居眠りを始めていたのだ。
「何なの?あれ?」
「あのお客さん、来るといつもあんな感じなのよねー」
ため息をつきながらベルガモットは続ける。
「あんなにお酒飲んどいて、居眠りしちゃってなかなか起きてくれないし。お父さんがいない時には勘定もはぐらかされるし。かなりツケが溜まってるのよねー。」
テーブルの上には何本か酒の空き瓶が転がっているのだが。それを見たキラは一言つぶやいた。
「あらまあ、この程度のお酒の量で酔っちゃうなんて」
続いて店内へ別の集団が入ってきた。錬成施設の職員のスー、ユキ、アンイ、サキガケである。
「あー、お腹空いた〜」
スーはこう呟きながら、トモチたちのテーブルに近づき「ウィーっす」と挨拶する。
「はい,これ約束していたものね。」
キラは液体の入った小瓶を取り出し、スーの前に差し出す。
「キラー、ありがとう♫もうねー、最近日焼けしちゃって困ってんのよー。」
スーは嬉しそうにキラお手製の化粧水を受け取る。
キラは治療薬の調合のほかに、トモチたちのために化粧品も作ることもある。ありとあらゆる植物の知識が豊富であり、薬草を探し当てたり、食料になる木の実や香草などの生息場所なども詳しい。由緒正しい賢者の家系らしい。数少ない女性隊員仲間であり、トモチはキラのことを信頼し尊敬していた。ある一点を除いては。
「屋内で仕事してて日焼けすることあるの?」
「だってさ、武器作るのに素材そのままの形では作れないでしょ?合成しやすい形状にするのに素材を溶かさないといけない。で、溶かすのに火が必要。日々大量の素材を溶かすのに大量の火を焚かないといけない。で、おかげであたいは焼けちゃうわけなのさ。」
続いて職員たちが口々に愚痴り始める。
「最近ウーシアとアカシックの注文が殺到してるのに、親方がまだ帰ってこないんよね。」
「ただでさえ忙しい時期なのに、親方はどこをほっつき歩いてるのやら。」
「帰ってきたら今までの残業代を請求してやりましょう。」
「へえー、親方旅に出てから帰ってこないんだね。」
郊外の一角にある錬成施設は隊員たちや酒場の利用客にとって御用達となっている。施設利用者が増えているという現実は、領地内に留まらず国内や国境付近で魔物が多発しているということを物語っている。施設職員にとっては売り上げが上る一方、諸手をあげて喜べる状況でもなく、複雑な心境でもある。その重要な拠点の施設の長は、「もっと強い武器」を求めて旅に出ているという。
「それにしてもさー」
スーが続ける。
「トモチってほんと肌白いね。あんなに外にでてるのに、あたいよりずっと白いとは….」
「あ!それ私も前から思ってたんだよね。一緒に同じ時間太陽の下で戦ってるのに、トモチ日焼けしてるの見たことないもん。」
そう言いながら、ロムは自分の腕をトモチの腕を並べてみる。こうして比較してみると2人の肌の色は歴然と違っている。
「うーん,そういう体質なんじゃない?」
あんまり深く考えずトモチは反応する。
「まぁ、キラちの化粧品のおかげかな?」
「えーー、私も同じように使ってるんだけどー。」
やがてトモチたちのテーブルに料理が運ばれてきた。錬成施設のスタッフのデーブルにはモチが料理を運んでいく。そしてユキにそっと茶色の小包を手渡す。こうしてモチはいつも彼氏に弁当を渡しているのだ。
ロムの前には、大盛りの肉団子入りトマトパスタが置かれ、おもむろに食べ始めた。「食べるのも訓練のうちだ。」と言うソルデイの方針で、隊員たちは1日3回食事をきっちり取る。そしてロムは、ソルデイやクラースのような屈強な男隊員並みにかなりの量を食べる。そんな細い体にどうやってそんな量が収まるんだろう?と思いつつ,見てると気持ちいいくらいの食べっぷりである。
「トモチ,あなたそれ一人で全部食べるの?」
先ほどモチから受け取った茶色い包みを見ながらキラは問いかける。その中身は大量のマフィンやドーナッツである。彼女は自他ともに認める甘党であり、任務や訓練の合間に「元気出るし♫」と言いながらいつも食べ始めるのである。
「あんまりお腹溜まるくらいに食べたくないのよ。マフィンはいいわよ♫これ一個食べるだけで糖分は十分取れるしー」
「こないだは食事じゃなくて、パンケーキ頼んでたじゃない?肉とか魚とかちゃんとしたもの食べた方がいいわよ?」
「そういうあなたこそ、もうその辺にしといたら?」
そう言いながら先程からキラが手をつけている、すでに半分以上中身が減ってるワインボトルを見る。彼女は相当の酒飲みであり、常にお酒の入った革袋を携帯し、本気の戦いが始まる前に「景気づけに」と称して飲み、一緒にお酒に付き合わされる相手は二日酔いを覚悟しなければならない。
「酒は百薬の長という言葉があるでしょう?」
「ってそれは少しの酒なら当てはまることだし。」
こうして暢気な会話を続けてる最中に、シアが別の料理を持って彼女たちのテーブルに近づいてきた。
「ねえ、お願いしたいことがあるの。これ、サービスしとくから。」
「うん?どうしたの?」
「実は、あそこの不老不死の村にお酒を届けに人をお願いしたんだけど。その人が今日急に来れなくなってね。最近とんでもない魔物がうろついてるという噂のせいで誰も行きたがらなくて。あなたたちにお願いできないかなと思って。」
「シアちゃん!それなら俺行ってあげるよー!」
アツはかっこつけようと意気揚々と名乗り出たが
「あんたはこれから隊長と一緒に時渉の塔の魔物を駆除しにいくんでしょ?」
「あ!それ、トモチ代わってくれない?」
「隊長!アツが午後の任務私に押し付けようと、ふゴホッ」
アツは慌ててトモチの口を塞ぐも,奥のカウンターからソルデイは物凄い顔で睨みをきかせる。
「ああ!?てめえ、なに任務をすっぽかそうとしてやがる!」
「冗談です!行きます!行かないはずないじゃないですか。」
「ったく!てめえって奴は」
アツからの無茶振りを無事回避したトモチはシアの申し出を承諾する。
「いいよ〜ちょうど非番だったし、気分転換がてら行ってくるわ。」
「ありがとう!ほんと助かるわ。」
「それなら私の手が空いてるから行くわ。」
エスカルゴを平らげながらキラも名乗り出る。
「キラちは、あそこの村の地酒が目当てなんでしょー?」
「まあ、いいじゃない。トモチも1人で行くより退屈しないでしょ?」
「それもそうね。」
そして新しく運ばれてきた料理を、フライドポテトとソーセージの盛り合わせを見たが、ひときしり食事を終えた2人は食べられそうになかった。
「ロムちゃん、これ食べる?」
「え?私も塔の仕事で行けないけどいいの?」
「いいよー。」
そして大盛りパスタを食べ終わったはずのロムは、もう一つの料理も見事に平らげた。
「あーーー!」
ベルガモットが大声で叫んでいる。よく見ると、さっきまで居眠りしていた例の大男がちゃっかり店から消えていた。
「もー!お父さんがいないことをいいことにして!今度来たらツケを全部払ってもらわないと!」
トモチは顔を真っ赤にして怒っているベルガモットのそばに近づく。
「あーあ、ほんと言ってた通りのやつね。まぁ、私らもあいつを見つけたらここに連れてくるわ。」
「うんうん!ぜひそうして!」
Wheel of Fortuneー古代都市と神罰者たちー第2章④
酒場での昼食を終えた隊員たちは、それぞれの任務へ出かけていった。トモチたちが運ぶべく荷物は街外れにある荷馬車に積まれていた。馬車の前部に乗ろうとするトモチを、駆けつけてきたクラースが止める。
「俺も一緒に行くわ。」
クラースが心配そうに声をかける。
「お前さあ、道わかってんの?」
「あ、そういえば村までどう行くんでしたっけ?」
「ええ!?あなた道知らないのに仕事引き受けたの!?」
「どうせそういうことだと思ったぜ。まぁ、俺も手空いてたし行くぜ。」
「クラース先輩助かります。お願いしまーす♪」
こうしてクラースが前席で手綱を引き、後ろの荷台にトモチとキラが座った。3人は村に着くまでの間おしゃべりを続けた。
「あそこの村の観劇場で人形劇が上演されてたよなぁ。今度ミアナも連れて行こうかな」
ミアナはクラースの愛娘である。
「最近忙しくてろくに遊んでやれなかったからさ。たまには父親らしいことしてやらないとな。」
クラースはため息をつきながら呟く。
「クラース先輩は充分いいお父さんだと思いますよ?だってあんなにに懐いてるじゃないですか?」
「そうですよー。ミアナちゃん本当にいい娘さんで、私たちとも一緒に楽しそうに遊んでくれます!」
トモチもキラもミアナのことを心から可愛がっているようである。クラースはさらに続ける。
「うちの嫁が病気じゃなかったらな。最近はわりかし体調はいいけどな。」
「それは、仕方ないじゃないですか。」
クラースの妻はこの地方に蔓延する風土病にかかっていた。まだ原因も確立された治療方法もない奇病で、ある日突然手足が不自由になり、日を追うごとに歩行もままらない状態となり、患者は寝たきり生活を余儀なくされてしまう。
「まだ歩けるだけマシなのかもしれない。だけどいつ身体が不自由になってしまうんだろうな。」
そういうクラースの表情は苦しそうだった。
キラは口を開いた。
「私の祖父、テネリアに一度相談してみようと思います。奥さんの奇病について何かできることがないか私も知りたいです。もっとも、テネリアが口を開いてくれるかどうかわかりませんが。」
「ああ、大賢者テネリアの孫だもんな。そうしてくれたら助かるな。」
テネリアは国内でも権威ある大賢者であり、英知に富みその知識で人々に進むべき道を示してきた。かつて宮廷に所属して古代文明や魔術、そして医学について研究していたが、今は山奥で隠遁生活を送っている。今となってはかつてのように多くを語らなくなってしまっている。
一行は目的地に到着し、村の中の商店に酒を届け、村の中を少し見て回った。特にさしたる用事もなかったため荷馬車に乗り街へ帰る。
ふいにトモチは眠気に襲われ、ふわーっとあくびをした。
「あら、眠そうね。」
キラが顔を覗き込んできた。
「最近ね、夜途中で目が覚めちゃうというか、寝つきが悪いのよね。」
あの不気味な夢を見ることが最近多いような気がする。今まで曖昧に見えていたものが、少しずつ輪郭がはっきりしてきているとトモチは自覚していた。見たくもない、見てはいけないものが、少しずつ見えてきている。思い出すだけで吐き気を感じている。
キラが心配そうに言う。
「睡眠不足は良くないわ。薬もいいけど、乾燥したラベンダーを煎じてお茶にすると安眠効果があるわよ。よかったら持って行くわ」
「ありがとう。すっごく助かる。」
その時
ドン!という音が聞こえ、2人は会話をやめた。一瞬気のせいかと思ったが
「おい、なんか聞こえたよな?」
馬車を走らせていたクラースが馬を止める。
周りの様子を伺っていると、街道沿いの林からバサバサ!と音を立てて木に止まっていた鳥たちが逃げるように飛んでいく。
あそこで何が起こっているのか。3人は武器を持ち林に近づいていく。林に入りかけた瞬間、先程の音がさらに大きく聞こえてくる。
ドーン!
やはりここで何かが起こっているようだ。誰かが魔物とで戦っているのか。音のする方へ向かう。
そして、目の前に広がった光景に驚愕した。
数人の武器を持った男女が切迫した様子で身構えていた。トモチが叫ぶ。
「あ!アイツ!」
大きな毛むくじゃらの魔物が彼らに拳を振り上げ威嚇し、足踏みをするたびにドン!と響く。それは、トモチたちがあの森で苦戦して戦ったあの魔物と酷似していた。
「あんたら、助太刀するぜ!」
クラースが両手斧を振りかざし魔物に向かっていき、トモチとキラもあとに続いていく。
クラースたちの登場に彼らは振り向き、「助かります!」と言い、魔物に立ち向かっていった。
見たところ彼らもまた戦闘面では事欠かないようである。
「ミーネ、アイツの動きを弱めておくように。」
「エルテア先生,承知いたしました。」
杖を持った女性が何やら魔法を詠唱し、先生と呼ばれた男性もまた杖を構えて魔物へ立ち向かう。
やがて魔物の動きが弱まったように見えた。ミーネという女魔導士の魔法の効果のようだ。動きが緩慢となり弱体化した魔物に一同が一気に襲いかかる。
クラースの斧が魔物の体を打ちつけ、トモチとキラの魔法が交差する。
「かなり手強いでする~。」
彼らのうちの女剣士はここ言いながら見事な剣さばきで魔物の腹部に切りこもうとする。
「ウルる様、油断なりません。」
そう言いながら長身の男も同じく剣を持ち加勢していく。
「・・・・」
彼らの中の大剣を抱えた少年も静かに魔物に立ち向かう。
それでも魔物の身体はかすり傷をつける程度にしかならず、なかなか倒せない。
「くそっ!これはほんとしぶとい化け物だな!」
クラースか舌打ちする。
「こうなったらあの火魔法を使いますか。」
エルテアは静かに呟き杖を構えながら続ける。
「どなたか水印を付与できますか?」
トモチは瞬時にエルテアの狙いを察した。
「わかりました。エルテアさん、よろしくお願いします。」
と言い、杖を構え詠唱する。
「ウォーターシール!」
するとあたり一面に青い魔法陣が現れ、エルテアが続いて詠唱する。
「サン!」
次の瞬間、周りが暗闇に包まれたと思いきや、ピカッとまばゆい光―灼熱の星が現れ、魔物を包み込んだ。水印によって加速された魔法の威力は凄まじく,灼熱の光に魔物は焼き尽くされていき、そしてみるみるうちに動かなくなった。
「救援誠に感謝致します。」
エルテアとがトモチたちに礼クラースが口を開いた。
「あんた達も討伐隊員か?」
「はい。我々は第15部隊。私は隊長のエルテアと申します。」
続いて隊員たちが自己紹介をしていく。
「ウルるでするー。以後お見知りおきを。」
「ウルる様の従者で、ウォルと申します。」
「私はミーネです。」
「…….ルードです。」
続いてクラースたちも挨拶をする。
「私は第7部隊副隊長クラース、こちらはトモチとキラだ。それにしてもあんた随分若いな。」
クラースの言う通り、隊長のエルテアはトモチたちとほぼ年齢が変わらないようだ。年齢がさほど変わりないはずなのに随分落ち着いており、ソルデイとは違う隊長としての風格にトモチは興味を持った。エルテアは続ける。
「あなた方の活躍ぶりは伺っております。高い戦闘力を持った集団で、あのファフニールをも討伐し、この魔物も最初に討伐したのもあなた方だとか。」
「ああ。だがあんたたちも新しく結成された部隊だろうに、こんな魔物を仕留められるとは。」
結成された順番に第1部隊から順番に名前がついており、第15部隊はその数字からしてもっとも新しい部隊のようだ。
「我々だけでこんな魔物を仕留めることができたかわかりません。このたびあなた方と共闘できたことはやはり縁ですね。」
「縁、ね….。」
いくつか言葉を交わし、挨拶をして退散しようとするトモチたちにエルテアは言った。
「いずれまた、あいまみえると思います。では、これにて失礼いたします。」
「?」
意味深長な言葉を残して、彼らは颯爽と立ち去っていった。
各部隊は各エリアごとの魔物について情報共有している。その部隊では対応不可能な魔物が出てきた場合は他の部隊と連携して討伐する。第7部隊もこれまでに他の部隊の救援に出向いたことがあり、その時のトモチたちはそういうことだろう、と理解した。
後に彼らと同じ道を歩んでいく運命にあることは予想だにしていなかった。
酒場の店主チップは神妙な顔をしてカウンターに座っていた。もうすぐ夕暮れ時、仕事終わりの労働者で酒場が賑わう時間でもある。にもかかわらず、仕込みをせずに数枚の書類に目を通している。昼下がりに突如酒場を訪ねてきた男から,「仕事の依頼」と称してこの書類を手渡されたのだ。
「お父さん、掃除終わったわよー。」
ベルガモットが箒を持ったまま父親に近づく。
「あら?何を見てるの?」
「ああ、新しく仕事の斡旋を頼まれたんだけどな。こいつがどうもな….。」
そういいながら一枚の紙に目を落とす。
「ああーー!?」
ベルガモットはそれを見るなり、驚きのあまり箒を落とす。
「この似顔絵の男、もしかして!?」
「ああ、アイツだろうな。」
それは昼間飲んでいたあの大男の似顔絵であり、そしてその下にこう書かれていた。
『暗殺依頼
因怒羅盗賊団 首領インドラ
報酬2000000zell』
第2章 完
Wheel of Fortuneー古代都市と神罰者たちー第3章①
第3章 異国の美少女
生暖かい潮風が吹く海辺の街に、1隻の大型船が到着する。船から次々と乗客が降りて行き、その中に1人ターバンを巻いた少女がいた。連れの者は誰もいないようで、一人で大きな荷物を抱えており、異国の衣装を身に纏っている。船の旅を終えて目的地に到着したことに安堵した彼女―サーヤは、おもむろにターバンに手をかけた。
ターバンがほどかれ長い銀色の髪の毛がこぼれ落ち、陶器のような色白の肌、そして長いまつ毛に縁取られた薄紫色の大きな瞳がひときわ引き立った。そして異国からやってきた美少女を、行き交う人々は眩しそうに見つめた。
サーヤは颯爽と歩いていき、街中の1軒の酒場に入っていった。時刻はまだ午前中のため酒場の中はまだ客はほとんどおらず、母と娘と思わしき2人が仕込みをしている。店の扉が空いて見知らぬ少女が入ってきたことに少し訝しげな顔をしつつ、「いらっしゃい」と娘の方が対応する。
「ごきげんよう」
サーヤは挨拶を返して、カウンターの席に座り飲み物を注文する。
「ねえ、このあたりに宿はないかしら。」
娘が出した果実酒に口をつけながら、サーヤは尋ねる。
「宿ねー。その様子だとあんた一人かね?」母親の方が尋ねる。サーヤはうなずく。
「年頃の女の子が泊まれるところはこの辺にはないんだよね。あったとしても大部屋に何人も寝るところしかないよ。いくらなんでも他の客と雑魚寝なんて嫌だろ?」
「それならさ」娘が身を乗り出す。
「うちの2階がいいんじゃない?」
「あら?ここも泊まれるところがあるの?」
「長いこと使ってない古い部屋だけどね。ねえお母さん、いいでしょ?」
母親は黙って何か考え込んでいるようだが
「そうだね。そうするといいさ。」と了承した。
「セラ、そうしたらあの部屋掃除しておいておくれ。」
「はーい!」
こうしてセラは掃除道具を持って2階に駆け上がっていった。
サーヤは母親に礼を言い、再び飲み物に口をつける。
「この辺りは柑橘類がよく育つから、こうやってお酒にすることもあるんだよ。」
「うん、美味しいわね。」
「それにしてもこんな物騒な世の中、女の子が一人で旅だなんて。あんたこの国に何しに来たんだい?」
母親から尋ねられ、サーヤは無邪気な笑顔で答えた。
「世界の運命を背負う人を、探しに来たの。」
Wheel of Fortuneー古代都市と神罰者たちー第3章②
「暗殺の依頼か・・・」
ソルディはカウンターに座り、1枚の紙を見ながらつぶやく。
店主チップから依頼を受け、第7部隊の隊員たちは酒場に集まっていた。
「うちではさ、この手の仕事の斡旋はしてないから断ったんだけどさ。この書類押し付けられて、とにかく依頼内容見てくれ、また今日来るからって言いやがってさ。」
この世界にはギルドとしての機能を持つ酒場はたくさん存在しているが、中には不正取引や違法賭博の場であったり、暗殺や密猟など後ろ暗い仕事を斡旋するところもある。
チップはさらに続ける。
「それでこの似顔絵の男が、うちにやってくる客だからさ。なんだかうちも変な事に巻き込まれそうで、あんた達に相談してるんだよ。」
ソルディが今まで目を通していた書類をテーブルの上に置き、隊員達も覗き込む。
アツもゴンも書類を眺めながら口々に言う。
「これ、誰からの依頼なんだろうね。しかもこんな大金を払うって。」
「200万ゼルなんて馬車が買える金額だぜ。こんな金額を支払うなんて、よっぽどの事情があるのか。」
「あぁ、なんか裏がありそうだね。」
一同はしばらく黙り込んだ。チップは口を開いた。
「いずれにしても、誰かに殺られる前に溜まったツケ払ってもらわないと困るんだよね。」
ソルデイはやれやれといった様子でやっと口を開いた。
「あぁ、わかったよー。要するに、このインドラという男を早く見つけてここに連れて来いってことだろ?」
「そういうこと!さすが隊長!話がわかるねー。」
「あぁ、あんたとは長い付き合いだし。それにお前たち、どうせこういう厄介事に首突っ込みたいんだろ?」
そう言いながらソルディは部下たちを見渡す。
アツは俺の出番だとばかり張り切っている。
「どうせなら、依頼した本人のことも調べてみませんか?」
「あぁ、そうだな。なぁ、チップ。この仕事持ってきた男自身が依頼したのか、それとも他の誰からの依頼かわかるか?」
「さてね。いずれにしてもあの男に探りをいれないとだな。多分また、店が閉まる時間くらいに来るかもしれないぜ。」
「じゃあ、その時にそいつに探りを入れようぜ。ということで、トモチ頼んだ。」
アツが例によって無茶ぶりをしてくる。
「はいー?」
「この手のことはトモチが適任だぜ。ここはまた一芝居打って情報をつまみ出そうぜ。」
「ハイハイ、わかったわよー。」
「ハイは1回でいいんだよ!」
「ったく。なんでいちいち偉そうなのやら。」
トモチはキラの方を向き言った。
「じゃあキラち、あの薬お願いしてもいい?」
Wheel of Fortune ー古代都市と神罰者たちー第3章③
公国で唯一の海辺の街オケアノスの酒場は1日の仕事を終えた労働者たちで賑わっていた。次から次へ客からの注文が殺到し、母親のポーラとセラは忙しなく動いていた。その二人に混じってサーヤも手伝いをしていた。サーヤとセラの2人の若い娘がいるので、彼女たち目当てに訪れる男性客がほとんどであった。
あの日以来ポーラはサーヤの身を案じ、住み込みでお手伝いをさせている。そしてポーラ親子からこの街について色々と聞かされた。ここ一帯はジル伯爵の領地であり、昔から他国との交易が盛んゆえ公国内でも富多き街と言われている。街の区画は大きく3つに分かれており、ジル伯爵の邸宅と富裕層が居住している小高い丘陵地、海沿いに面している商業区域,そして貧民が住まうスラム区域である。
「スラム区域に入っちゃダメだよ。」
ポーラはサーヤに注意した。
「あそこは治安が悪くてね。女の子は何されるか分からないからね。それから最近では、人がさらわれるという噂もあるからね。」
この酒場には酒類や食料などが保存されている地下室がある。地下室へ降りる階段は酒場のカウンター奥にあり、客席からはほとんど見えず、サーヤも滅多に近づくことはなかった。カウンターの奥の料理や皿洗いはほとんどポーラとセラで担当して、サーヤはお酒や料理を運んだり片付けをするだけだったからだ。
「サーヤちゃんが手伝ってくれてうちは大助かりだよ。」
そう言ってポーラはすごく喜んでくれるので、皿洗いの手伝いも申し出たが
「それは私たちでやるから大丈夫だよ!」と言ってさせてもらえなかった。
注文された料理やお酒を慌ただしく運びながら、サーヤはちらっとカウンター奥へ視線を送った。大量の料理とお酒を抱えたセラが地下の階段を降りていくのが見えた。
あら?地下室に誰かいるのかしら?サーヤはしばし考え込んでいたが
「サーヤちゃん♫おかわり〜!」
酔っ払った客から声をかけられ我にかえり、はーい!と返事をして客のところに向かった。
こうして慌ただしく時間が過ぎ、3人で遅めの夕食を済まして、片付けの時間になった。
サーヤは客席の掃除をしていたが、今度はセラが空になった食器を抱えて地下からの階段を登ってくるのを見た。サーヤは首を傾げたが,1日の仕事を終えて疲れているのに聞くのも憚られ、明日時間空いてる時に聞いてみようと考えた。そしてサーヤは自室のベッドに入り眠った。
その夜ふと途中で目が覚めた。何やら1階の方で物音が聞こえたような気がして耳をすませてみる。
ミシッ、ミシッ
誰かの足音が聞こえるようだ。
もしかして泥棒なのか?そう思ったサーヤはベッドから起き上がると護身用の杖を持ち、そっと部屋を出る。足音を立てないように裸足でそっと歩いていく。床の冷たさが足裏に伝わるのを感じながら廊下を渡り、一階へ続く階段を降りていく。
店の中は数時間前とうってかわって静まりかえっていたが、暗闇の中何かゴソゴソ動いているようだ。どうやらカウンターの酒棚のところに誰かいるらしい。明らかにポーラとセラではない。そう思ったサーヤは杖を構えて背後から近づいついく。
が、運悪く足元の丸椅子に足を引っ掛けてしまい
ゴト!
丸椅子を倒れ、静まり返った中音が響いた。
「!?」
音にびっくりしたその誰かはこちらを振り向いたようだ。暗闇の中かなり毛深い巨体が動いたものだから、クマと勘違いしたサーヤが「きゃー!!」と悲鳴をあげる。そして悲鳴にびっくりしたのか、その巨体はよろめき酒棚に思いっきりぶつかり
ガッシャーン!
酒瓶が床に落ちて割れる音が酒場中に響いた。
音で目を覚ましたポーラとセラが階段を降り、灯りが灯され、店の中が一気に明るくなる。
サーヤがクマと勘違いしたのは、大柄の色黒い巨漢の男であった。
「もう!!ドラちゃん!あれほど地下室から出るなと言ったのに!」
セラが男に大声で怒ったが,ポーラが制した。
「静かにしなさい。誰かに聞かれたらどうするの。」
男はセラに怒られたせいか、かなり縮こまっており
「すまねえ。オイラ酒飲みたくてつい….。」
とボソボソぼやく。
状況が飲み込めないサーヤはあっけに取られていた。その様子を見た母親はため息をつき
「サーヤちゃんにも事情を話すしかないね。インドラくんのこと。」
と洩らした。
Wheel of Fortune ー古代都市と神罰者たちー第3章④
日付が変わってしばらくたち、客足が途絶えたところでチップは店じまいをしようとしていた。店の照明を落とそうとしたところ、1人の男が店に入ってきた。
「いらっしゃい」
チップは男に声をかけ、再びカウンターに立つ。
男は全身黒づくめの服にマントをはおり、黒い帽子をかぶっている。その目つきも表情も冷たい印象を与えていた。
「例の依頼の件考えてくれたか?」
カウンターに座るなり、男は切り出す。チップは声を潜めながら言った。
「あぁ。ちょうどいい当てがあってな。女だが腕は確かだぜ。狙った相手は必ず闇に葬る、誰にも気づかれることなくね。噂によると、犯罪組織や貴族連中までが彼女に依頼をしてるらしい。」
「ほぉ、女の暗殺者か。」
「あんたがこの時間に来るということは伝えといたぜ。おっと、そろそろ来る頃だ。」
「ああ,恩に着るぜ。」
暗殺依頼の引受人が見つかったことに安堵したのか、男はウォッカをオーダーした。
「隣いいかしら」
ふと女の声がして、男は振り返る。
気がつくとすぐ後ろに女が立っていた。いつの間に店に入って来たのだろう。亜麻色の髪の毛を夜会巻きに束ねており、黒いベールに黒いドレスといういでたちだが、逆にそれが女の色白の肌をいっそう引き立てていた。
「あぁ、どうぞ」
男は隣の席へ女を促す。
この女か。気配を消して相手に近づくとはなかなか腕が立ちそうだな。しかもなかなかいい女じゃないか。男はこの女を気に入った。
「私も同じもの頼もうかしら。」
と言い、女もウォッカを注文する。
男は口を開いた。
「あんたのような女を待ってたぜ。」
「あら、ずいぶん待たせてしまったのかしら?」
「いや、この手の依頼を受けるに相応しい、と言った方がいいかな。」
ウォッカを飲みつつ男は続けた。
「暗殺者という名の看板を掲げている奴はいくらでもいるが、しくじって牢獄行きになっちまうような、まるで使い物にならん奴もいるからな。
だがあんたは別格だ。その色香で相手を油断させ仕留めるなんてお手のもんだろ。」
「そう、ね。金さえ払ってくれるなら、どんな相手でも始末するわよ?それも誰にも気づかれることもなく、ね。」
女はそう言って妖しく微笑んだ。
女に見つめられ、男は鼻の下を伸ばしたようであり、
「もう少し飲むかな、あんたも飲むだろ。」
と2杯目を勧めていく。
チップから出されたウォッカを、何の躊躇もなく男は口にしていく。その様子を眺めながら女もグラスに口をつける。
男は1枚の紙をカウンターに置く。ターゲットであるインドラの似顔絵とオケアノスという街にアジトを構えているという情報が書かれている。女はそれを手に取りながら口を開く。
「それにしてもあの金額、今まで請け負ってきた中ではいい額の方だけど。インドラとかいう男、そこまでして消さなきゃならない理由があるのかい?」
「ふっ、理由か。」
男はほくそ笑んだ。
「どうしてあんたたちみたいな暗殺者が必要なのか。
それはこの世には消えてほしい人間、邪魔な人間がいっぱいいるからだ。そういう人間を始末していくことで、世の中って上手く回るもんじゃないか。」
女はふっと笑う。
「あら、わかってくれるじゃない。あんたとは気が合いそうね。」
この言葉にすっかり気を良くした男は、さらに酒を注文して女にも勧めた。。
男は喋り続けるが、やがていつもより酔いが回るのが早いことに気がついた。しかしこれもこの女に酔いしれてるからだと思い込んだ。
「なぁ、俺の女にならないか?」
男は囁いてくる。
「うーん、そうねー。」
女がこうして焦らしている間に、男はさらに酔いが回った口調で女を口説き続けていく。
「俺の女になれば、いくらでも割のいい仕事回ってくるぜ~。依頼主は金回りのいい男だからな~。」
「ふーん、ずいぶん羽振りのいい話ね。」
女の目の奥が光る。この男は酔うと饒舌になるようだ。おそらく自分の飲み物に血行促進剤が入ってることも、女の飲み物がただの炭酸水であることも気付いてないだろう。
「その依頼主さん、どうせずいぶん胡散臭いことで儲けてるんでしょうね。」
「お察しの通りさ。あいつは不正な取引を収入源にしてるからな。でもってこのインドラとかいう男が取引の現場に鉢合わせしたというもんで、口封じのために仕留めたいってわけさ。」
「なるほどね。ねぇ、マスター。今日のオススメをお願い。この人にもね。」
そう言って女はチップに目配せする。
次に出てきたのは褐色の飲み物だった。男は間髪入れずその飲み物に手をつける。
途端に男はどんどん目が据わっていき、呂律が怪しくなっていく。
「どうだ~?悪い話ではなかろ~?あんたにこれからもどんどん仕事が入って来るぜー。」
「・・・やはり1度や2度ではないってことか。そうやって自分たちにとって邪魔な人間は金に糸目をつけずに消してきたんでしょ?」
「あ、あ…そう、だ。…あいつ…ジルは、そういう男だ。」
「ジル?」
「ジル,卿….ジル伯爵だ….。」
酩酊状態となった男はやがてカウンターに突っ伏し、そのまま動かなくなった。
「女暗殺者の演技お見事だったぜ。」
物陰に潜んでいたアツが顔を出してきた。
「最後に飲ませた薬の量ちょっと多かったかしらね。」
黒いベールを外し髪を下ろし、トモチは冷めた目で男を見下ろした。
チップが口を挟む。
「まぁ,どうせあんたらその街に行くと思うけど。それよりこの男はどうする?このままここに置いとくわけにもいかんぞ。」
「ああ、そいつは親父に引き渡せばいいさ。」
そしてアツはこう呟いた。
「ジル伯爵,か。よりによってあいつか。」